運命ってあるのかもしれない

めちゃくちゃ重たい内容のブログになりますので苦手な方は前に書いた女王蜂さんをおすすめするブログをご覧ください。

 

 

以前記事の中でも精神的にしんどかったことがあったと書いたのですが、病院に行くと決めたころに私にあった症状は、ストレスからいろんなことが怖くてできなくなってしまったこと、不眠、それから一番大きかったのが希死念慮でした。

 

私は物心ついたときから人はいつか死ぬ、それがいつかはわからないけど、その日まで命燃やして生きようって思っていたので死にたいと思う人の気持ちはすごく理解できるけど、自分では考えたことがありませんでした。

でも、生きていることがひどく気持ち悪く思えて、申し訳なくなって、存在していることがすでに悪なんだと感じたときに初めて明確に「死にたい」と思いました。

 

毎日、仕事をしていたりして気が紛れているとき以外はずっと死ぬことばっかり考えていました。生きていることがしんどくて、明日を苦しみながら生きるか、今日ここで死ぬか、毎日天秤にかけていました。

 

明確に希死念慮を感じる少し前から女王蜂さんには出会っていて、配信を見たりしていて好きだなあと感じてはいたのですがまだまだ知らないことがたくさんあって、過去のインタビュー記事や過去の楽曲についても調べていた中で、『鉄壁』という曲に出会いました。

 

「生きてゆくこと 死が待つことは 何より素晴らしいこと 誰にも奪わせないで」

 

この歌詞を聞いたときに、何か自分の中で変わったなあと思う瞬間があって

曲って聞く人の状況やとらえ方で意味が変わると思うんですが、私にとっては、今ここで死んでしまったら自分の意志じゃなく、私を追い込んだ人たちのせいって思って死ぬことになるんじゃないか、それはつまり奪われてるってことなんじゃないかなって考え直すきっかけになりました。

 

私のことを大切に思ってくれない人に私の人生を奪わせるわけにはいかないなと気付き、同時に、こんな苦しい中でもずっとずっと優しさをくれていた推しに恩返しもしないで居なくなるなんて嫌だなとも思いました。

だから私は自分で毎日生きようと思う理由を探しながら、怖いけどお医者さんの力も借りて、自分にできることは何でもして、仕事もやめないで、生きようってもがきはじめて、今まだここで生きています。

なんだかすごく自分勝手な感想だけど、一番つらい時期にこの曲に出会ったことも、その頃の私の心に刺さって考え方が変わったことも、もしかしたら全部運命なんじゃないかなって思っています。

 

何か発散したくて一人でカラオケにこもって、この曲を叫ぶように歌ったりもしました。

「血の味がする程喚いてみたけれど 何一つ蘇ったりしないし終わったり始まったりもしない」

ほんとはその人たちのせいにしてしまって、私も同じような汚い言葉で怒ったり責めたりすれば楽だったのかもしれません。でも私がそれをどうしてもしたくなかったのは、『鉄壁』を聞いて、歌ってみて、歌詞が私の心に刺さったからだと思います。

喚いたって、楽しい日々も戻ってこないし私の心も元に戻ることはないと私もそう確信していたから。

 

これからも私の生きていく指針になるだろうなと思います。

私は私として生まれてきたことを変えることはできないし、生い立ちも、名前も、声や顔、見た目も、何もかも変えることはできなくて

それを誰かのせいにすることも、自分は可哀想だと思うこともいつだってできるけど、私はしないで大切なこと、人を心から大切に思いながら生きていきたいです。

 

改めて聴いていたら素敵な曲を作ってくださった女王蜂さんへ感謝と、いつも助けてくれる推しへの感謝を文章にしたくなった、そんなオタクのブログでした。

長々と重たい話をすみませんでした!